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外国人が見た日本

Japan Thru Non-Japanese Eyes

Ken Shellberg
Columbus, Ohio
June 19, 2000
Kenの英文添削教室

訳:ジョニー・宮崎

1.幼い外国人の目を通して見た日本

Myself, my sister and our big American car in front of
our house in Nagoya,1954.

私の日本の経験はほぼ45年前に始まる。その頃私は6歳くらいで妹が2人いた。父は米空軍にいて、1953年から1955年の間は名古屋の名古屋空軍基地の所属であった。はじめの1年間は名古屋の日本家屋に住み、2年目は基地近くのアメリカ様式の家に住んだ。名古屋航空基地には職員の子弟のために幼稚園から高校までのアメリカンスクールが備わっていた。

もちろんそれは私の幼児の頃で、遠い昔のことである。
父は私たちが日本にいる間に沢山の写真を撮り、アメリカに帰国後はお客があるといつもスライド・プロジェクターをセットして、これらの写真を映し私達の日本での生活を語ったものである。来る年も来る年も、繰り返し繰り返しこのように日本での写真を見たり、話を聞いたりしていると、日本に住んだ私の幼年時代が思い出されるのであった。

父のスライドを見たり話を聞くと、祭りの行列や仏像、中村鳥居、それに城の天守閣が思い出される。私達の幅広のアメリカの乗用車で狭い街路を走るのは容易ではなかった。「Noritake」の陶器工場を見学し、両親が陶器類を買い求めたこともあった。
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また、近所の家で催された操り人形劇をみて過ごした、すてきなある昼下がりのこと、パン焼き職人で、ときたま粉菓子を持ってきてくれた「とし」という男のことも思い出される。

日本にいる間に私には弟が一人できて、母は4人の幼子の面倒をみる手助けの人が欲しかった。第二次世界大戦後10数年のこの頃は、日本にいたアメリカ軍の将校は、アメリカでの標準から見ればそれ程とは言えなかったにしても、かなり裕福であった。そんな訳で、子供の面倒を見てもらうために「のぶ子」という日本人の娘を雇い入れる余裕があった。彼女が私に服を着せるのに苦労しているとき「一寸待って下さい」と言ったこと、10まで数えることや「どうぞ」と「有難う」ということを教えてくれたことをも、今でも覚えている。私は彼女が大好きだった。時折彼女は今何処にいるのだろうと思う。

これらは子供のころの記憶であるから、とりとめが無く単純であり、子供の生活の体験のしかたを反映している。日本にいたのが、もっと年がいってからだったら良かったのにと思う反面、この幼児期の記憶も全く同じように大事に思っている。

2.大人になってからの外国人の見た日本

Japan Thru Older Non-Japanese Eyes

Anemone.jpg - a picture of a Japanese anemone from my garden.

この45年を経て日本は大いに変わった。近代工業国になったのである。「メイドインジャパン」という言葉は品質と益々深く関わり合う言葉になった。日本の車や電子製品はどこかしこにも溢れ、最も良い品の一つとみなされている。私の趣味の主なるものの一つにガーデニングがあるが、刈り込み鋏からチェーンソー、庭用トラクターにいたるまでその道具の多くは日本製であり、その品質は最高である。

アメリカの多くの園芸農園には日本の庭師が来ており、日本の気候とアメリカ東部のそれが似ているので、多くの園芸植物がアメリカに輸入されている。 私は自分の庭園を楽しんでいて、そのの美しいものの多くは多年生植物から庭木、潅木にいたるまで日本固有のものであるの気付く。

しかし、このような日本の成長と発展は「古い日本」のいくらかを犠牲にしているようだ。最近、日本に関する記事を当地のローカル新聞で読んだが、それによると日本では毎年アメリカの2倍もの量のコンクリートを打ち込んでいるそうだ。これは私には驚くべき統計値である。それに数年前に、「京都を救う国際会議」というウェッブサイトに出会ったが、それによると京都の歴史的に古い区域が、毎年新規開発の道を作るために取り壊されているようである。勿論、過去の遺産の保存と将来の新しい建造物の間のバランスを見出すことは容易でないことは分かっている。

いつの日にか日本に戻って、幼少時代の記憶に残っている日本を見い出せることを望んでいる。日本はこの45年間にとてつもなく変化したことは知ってはいるが、たとえそうであっても、古いもの、新しいもの両方の日本をみたり、経験したいものだと切望している。


翻訳者ジョニー・宮崎さんのプロフィール:大手の電機メーカーに1957年以来勤め、6年前にリタイアして故郷で過ごしています。
30歳代に、Rolling Stocksの仕事で、東南アジア、印度、アフリカ、南米と飛び回っていました。最近はインターネットで情報の洪水と戦っています。

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