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外国人が見た日本

ローレンス・ブッシュ (USA) outsider@jps.net

東京:奇妙にも懐かしく
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幻想的な建築物

東京の乱雑性あるいは「隠れた秩序」については多くの議論があるものの、東京には古いものや、新しいもの両方に、沢山の面白い建築物があります。銀座の中島キャプセル・ビルデイングは、移動可能なコンクリート立方体が、鋼鉄の高層構造に付加されてできているものですが、将に未来の住宅の原型となるべきものでした。悪名高いキャプセル・ホテル、鉛筆のように細い駐車場、地下商店街がありましたが、最も深い印象を受けたのは、渋谷の幻想的な建築物でした。

有名なハチコウ広場がある渋谷は、東京都心のファッション地区です。私が地下鉄を降りると、紺や黒地の流行ではあるものの、全く似通った制服の若者の軍団に巻き込まれてしまいました。たまに流行に反逆するものが、深海色を覗かせるのみです。女高生は、肌寒い秋の気候には理想的と思える、ゆるいソックスを今どき履いていました。女性は底の長い、時には6インチもある踵のブーツを履いていましたが、それがために保守的な紺か濃いグレーの背広を着る男性達の間から、頭を覗かせる程でした。

彼らの後ろでは、渋谷の建築物が、いま出現しつつある東京スタイル という-- 超モダンで、コンパクト、可愛くてけばけばしい様式を語っていました。ハチコウ広場の空間から少し外れると、曲がりくねった道路が、幻想的な並木道を次から次へと展開して行きました。ラセン階段、不可能なくらい幅の狭いビル、小尖塔そして光塔が、奥行きの深い道路を賑わせていました。或る店の店頭から仕掛けで動くの龍の横目が、通りがかりの人々を脅かしています。飛行機や自動車が壁から突き出たりしています。デズニー・ストアは、ダース・ベイダーのヘルメットに似て、気味悪いくらいの真っ黒いビルでした。多くのビルは、SF映画の撮影現場のように見えます。

SFの国民、日本

サイエンス・フィクションは、現代日本の大切な側面です。もしサイエンス・フィクションが人類の技術衝撃を記述する文学として定義出来るなら、日本は確かに近代の歴史において、他のどの国民よりもその衝撃を強く感じた筈です。日本が西洋諸国に門戸を開いた時、他に類を見ない熱心さで技術を吸収しました。ロボットとして強化された人間ウルトラマンやロボットの猫ドラエモンは、おもちゃとして、キーチェインとして、宣伝広告にもテレビにも、何処ででも見かけられます。ロボットは、これまで日本国民の英雄像として見られたサムライに、今や対抗しているのです。

明らかにサムライへの憧れは、古い日本で生き残っています。でも、現代的な商業区域でも、日本の歴史は重要な位置を占めるのです。あの巨大な石垣、見渡しても見渡しても続く瓦屋根の建物を持つ皇居は、伝統の守り手です。大門の向こうには、数百年も溯れる庭園や建物があります。皇居自身が年にたった二日しか公開されないものの、その東御苑は、これぞ純粋に日本だと思わせる時代に溯れる、タイム・トラベルの場所です。

生き残る古い日本

古い日本と新しい日本との対比は、東京にある二つの大きな歴史博物館の違いを見ることが出来ます。美しい上野公園にある東京国立博物館は、民芸品、武具、刀、陶器、芸術品、そして織物に関して、日本一大きなコレクションを持っています。全ては、この1930年代の伝統的様式の博物館に、ガラス・ケースに収められ、つつましやかに展示されています。他方、江戸東京博物館は、超モダンなマルチメデイアの体験をさせるものです。ポンピドー・センター式のチューブ型エスカレーターから等身大の複製まで、訪問者に、まるで古い江戸の通りを歩いている、といった感じを持たせます。最新式の博物館である江戸東京博物館には、機械装置で動く歌舞伎劇場の演技、ビデオ放映、東京のバーチュアル・モデル、そして見学者とやり取り出来る展示物があります。

<続く>

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