国際エコロジカル・ツーリズム・フォーラム:バイカル20 International Forum - Eco-tourism on Lake Baikal +20 で基調講演をして

バイカル湖を 海と呼ぶ民 夏短か

渡辺節子

2013年7月11日から13日までブリヤート共和国の首都ウランウデを中心に「国際エコロジカル・ツーリズム・フォーラム:バイカル20」が開催された。
ブリヤート共和国、ロシア連邦、EU、ユネスコ等の主催で、
ロシア連邦の14州及び世界の14国から政府関係者、エコツーリズムの専門家、自然保護区の責任者、地質、水質学者等の専門家集団の代表約150人が参加して、
ロシアの井戸の80%、世界の井戸の20%の供給源であるバイカル湖が汚染されだした。そこでtransboundaryのエコツーリズムを話し合うフォーラムだ。
私はエコツーリズムを推進する旅行のエキスパートとして世界でただ1人招かれ、ゲストスピーカーとして本会議で基調講演をすることになった。
たまたま私が、4年間にわたってブリヤートに通い続けたことが、きっかけになったことと思う。

「エコツーリズム」には様々な定義があるが、例えば日本自然保護協会では、「旅行者が、生態系や地域文化に悪影響を及ぼすことなく、
自然地域を理解し、鑑賞し、楽しむことができるよう、環境に配慮した施設および環境教育が提供され、
地域の自然と文化の保護・地域経済に貢献することを目的とした旅行形態」としている。
私は、Oze National Park, Most Visited Wilderness in Japanという一見矛盾したタイトルだが、
日本で最初にエコツーリズムを打ち出した尾瀬は訪問者が多くても、自然保護団体や訪問者、地元の協力、努力により自然を保ち続けているという話をすることにした。

ウランウデの中央広場オペラ・バレエ劇場前の大野外劇場には立派な舞台とテントの客席があっと言う間に設営された。
オペラ・バレエ劇場は1940年代にウランウデにあった強制収容所の日本人捕虜が建設したもので、今でも街のランドマークだ。

首相、大臣の挨拶が終わり、最初に私が紹介され、400人あまりの聴衆の前で話し始めたが、
電気系統の故障で用意したPPTが使えず、地図も画像もなしでの尾瀬の説明はきつかったが、尾瀬の原発事故後の訪問者激変とチェルノブイリを取り上げたのが伝わったのか、
「beautiful speech、オーチン・ハラショー!ハラショー! 」と大好評。
PPTを使って専門的な話をするより、聴衆を観て、必死に話しかけたのが、彼らに伝わったのだろう。
参加者は主にロシア語、ドイツ語を話し、英語はあまり通じなかったから、英語からロシア語への同時通訳もうまかったのだろう。

フォーラムは現地視察や会場を湖畔に移した分科会を加え3日続いた。
分科会は
1.エコツーリズムの今後の発展と地域社会、ビジネス、政府の協力
2.東ロシア圏におけるエコツーリズム
3.バイカル地域におけるルーラルツーリズム
で、
ワークショップ「都市におけるエコライフへの11のステップ」も好評だった。

フォーラムの決議は、
「自然と共存、破壊しない、地域社会と共存、エコの技術を利用した、sustainableなエコツーリズムを心がけよう」を再確認することになった。

ブリヤート共和国は日本人と同じDNAを持つ蒙古人種(ブリヤート人と呼ぶ)中心だったが、今はブリヤート人は人口の30%に減っている。
蒙古人種はロシア、中国、蒙古共和国と3分断されて住んでいる。
初めて首都ウランウデを訪れた時は昭和にタイムスリップしたような懐かしさと人情に魅了され、その後、招待されたり、旅を企画したりして、4夏通った。
今回のフォーラムに参加して、あらためて100年前までは放牧生活を送っていた少数民族が大国の狭間で、賢くたくましく生き抜いていく外交術に畏敬の念を抱いた。
日本との時差がなく、果てしない大草原、高低差が1kmで7cmという殆ど流れない悠々とたゆたう大河、バイカル湖、タイガ(針葉樹林)、
東西文化の十字路と魅力尽きない地域へみなさんが訪れてくださることを切に希望する。

日本人抑留者が1950年代に建てたウランウデのランドマーク、オペラ・バレー劇場を背にした野外劇場のフォーラム会場で背の高い演台から首だけ出して講演中の私



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