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タリン市長招待の昼食会

文と絵:堀口茂喜(四日市市)
写真:渡辺節子

世界遺産タリンは中世都市時代そのままのような城郭内に、異なった宗教の大寺院がいくつもあり絵のように美しい緑の多い静かな古都で、ハンザ同盟の時代から今も繁栄する港湾都市でもある。到着の翌日詳しい説明を聞きながら町を観光後、エストニア市長招待の昼食会があり、副市長、補佐役さんそして女性観光局長等に迎えられる。
若い副市長の歓迎の挨拶から国づくり、とりわけIT産業、観光面で日本との結びつきを期待していることを肌で感じられた。リーダーから俄か団長を仰せつかったので、お礼の言葉を言おうとしたが、あがってしまって言葉が出ない。その時たまたま土砂降りの雨だったので、日本ではこんなとき「ふりこみ」といって歓迎の意味になるのだとお茶を濁す。はたしてうまく通訳してくれて相手に通じたのかどうか。

さて翌日からエストニアのヒーウマー島、ラトビィアそしてリトアニアと旅行を続けたのだが、風光も世界遺産も三国の近代の悲劇的な歴史抜きには語れないと痛感した。

バルト三国は北から順にエストニア、ラトビィア、リトアニアと地続きで、同じように山がなく平原と森林と湿地や湖沼の多い国である。一口にバルト三国と呼ばれるが、それぞれが固有の民俗、固有の言語をもっている。リトアニアだけが一時期、リトアニア大公国を形成し、その後ポーランドと合体して連邦国家と成ったが、近は三国とも常に大国間の攻防の場となって、いつもどこかの国の支配下に置かれてきた。
ロシア革命が起こり1918年ロシアから各各が栄誉ある独立を勝ちとったが、その幸せも長くは続かず、1939年ソ連圏に編入される。41年から44年にかけての独ソ戦争ではドイツの占領下に置かれ、ドイツ敗戦により再度ソ連圏に戻った。88年ソ連のペレストロイカ後、民族運動が起こり独立宣言やソ連の軍事介入などの経緯を経て、91年ようやく真の独立を成し遂げた。ドイツによるユダヤ人の虐殺、杉原千畝副領事の美談、都市の空爆や破壊、ソ連KGBの残虐行為など現在の観光スポットは大国に振り回された歴史と深いかかわりがある事を旅の間考え続けた。

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