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トラキア文明の地ブルガリアとアレキサンダー大王の故郷北ギリシャの旅

中野暢夫(横浜市)

渡辺節子リーダーの一行に合流する10日前、夫婦でウイーンに滞在、以後ブダペスト、ベオグラードと廻ったあと、6月7日集合地である北ギリシャのテッサロニキに到着した。その日一行は深夜着の予定であったが、飛行機遅延でブダペスト宿泊を余儀なくされ、翌日午後4時過ぎに到着した。皆さんスタートから大変な思いをされたようで、到着後はブダペストでの乗り継ぎ騒動話で持ちきりであった。

アレキサンダー大王の故地テッサロニキ

一行到着後早速ギリシャ第二の都市アレキサンダー大王の故郷であるテッサロニキの市内散策に出た。太陽が燦燦と照りつけ海は紺碧に輝き既に真夏を思わせるものであった。ここでは世界遺産をなすアギオス・ディミトリオス教会や考古学博物館、古代ローマの凱旋門などを訪ねたが、やはり分かりやすく印象に残ったのは、海岸公園に聳え立つアレキサンダー大王の騎馬像であった。銅像とは言え紀元前350年代生まれの英雄の故地でその姿に接し感無量であった。この銅像は大王の像としては世界最大という。 ここから見るテッサロニキの海岸は湾を囲むようにして立ち並ぶ建物とも調和して何ともいえぬ美しい景観を形作っていた。 この夜は野外レストラン街に繰り出し、初めてメンバー全員でギリシャ料理を堪能した。 すでに昨夜の遅延騒動も忘れて一同これからの旅への期待に胸が膨らんでいった。

エーゲ海に面する海岸公園にたつ アレキサンダー大王像

ブルガリア周遊

翌6月9日大王の生地ペラの遺跡とベルギナの古墳遺跡を訪れたあとドライバー兼ガイドの小型ワゴン車でいよいよブルガリアへ。南西部のワインで有名なメルニックから僧院で有名なリラ、世界遺産ピラン国立公園のバンスコ、第二の都市で紀元前19世紀にはトラキア人集落があったプロブディフ、香水の原料となるバラ油の世界一の産地、バラの谷カザンラク、山と森に包まれた美しい旧都ヴェリコ・タルノボ、そして現首都ソフィアと国土の西半分の主要地を現地10泊で周遊した。

リラの僧院

我々普通の日本人にとってブルガリアは東欧の国、首都はソフィアという程度の知識しかなく、あとはヨーグルトと琴欧州しか馴染みがないと思う。旅行前にブルガリアやバルカンの歴史、地理、歴史小説などを読み、ある程度の事前準備をした積もりであったが、帰国後訪問地ごとの記憶は混ざり合って漠然としている。ましてや旅の報告で訪問都市観光についての説明をしても殆ど意味をなさないと思われる。このためここではこの旅行を通して印象に残ったことと感想を述べることとしたい。

イコンの旅

ブルガリアは、14世紀末から500年間オスマントルコの支配下に置かれた苦難の歴史を持つ。異教徒による圧迫にも関わらず、それ以前からのギリシャ正教の信仰はバルカンの山中に避難し、細々ながらも脈々と引き継がれてきたのであった。リラの僧院に代表されるが、この旅の訪問地のどこにも、正教の修道院、教会が残されており、何れも見学することができた。その内部は、イコンと呼ばれる聖像画により横壁から天井まですべて覆い尽くされていた。どこのイコンも金粉色の背景にマリア、キリストそして使徒や教会の貢献者などが描かれていた。  また何れの教会もカトリックと違って中央に祭壇はなく、扉となっている。扉の向こうは神の居場所であり世俗の人は入れないという。

山と緑の豊かな田園風景

ブルガリア中央部にバルカン山脈が東西に連なっている。また南西部にはリラの山やピリン、ロドビ山脈が南北に走しり、行く先々周囲は牧場や豊かな田園風景が見渡す限り続いていた。工場群などは見当たらなかったが、田園風景を見るかぎり豊かな生活を思い浮かべるが、一人当たりGDPは5千米ドル強で世界72位(2007年)と低位にある。

賞賛したい食文化

日本人にとって旅行中気になるのは食事である。我々のメニューは、日本人グループの経験に乏しいガイドであったが、およその希望を伝えて注文してもらったが、そのいずれもが全員その美味しさに感激するもので、ハズレはなかったといってよい。トマト、キュウリ、粉チーズの定番サラダ、朝、昼、夜のヨーグルトドリンクやヨーグルトデザート、そして鶏肉やウサギ肉の煮込みなど、多分味覚の共通性とあの豊かな田園から供給される新鮮な食材がその要因と思われる。 食事はいつも大変満足であった。 ヨーグルトは、牛乳のほか、水牛や山羊の乳のものもあり、一同興味深く味わってみたが、山羊のヨーグルトは、好き嫌いがあるようであった。

トロイヤン郊外の田舎の民家で昼食

6月16日ガイド推薦による民家を訪ねた。この民家は知り合いのみを受け入れており、主人に国民酒であるラキアと呼ばれる果実酒の自家製造現場を見学させてもらった。 その間奥さんが昼食を用意してくれ庭で一同ご馳走になった。野菜はもちろん、ラキアのほかワインもソーセージ、チーズも自家製で、ここでも味覚の合う美味しい料理を満喫することができた。家主夫妻も料理を運びがてら話に加わりとても楽しいひと時ともなった。 民族舞踊の鑑賞や手作り料理は、メルニック、ドブラスコ村その他でも経験し、それはそれでよかったが、このホテル、レストランなどの看板のない民家での体験は一同のこの旅行のハイライトのひとつにもなり、忘れがたい思い出となったと思う。全員感激。

ハプニング

バラの谷の街カザンラクの広場でブルガリア全土から参加の民族舞踊コンテストがあった。丁度我々が見学し始めたとき一人の日本人女性が踊りに加わっていることが放送で紹介され思わず親しみを感じて、踊り終了後に駆け寄って話をした。女性はソフィアに4年半ひとり住む日本語の先生で団員のなかに日本語をしゃべるブルガリア人も何人かおり、ひとしきり会話が弾んだのも忘れがたい思い出となった。この見知らぬ国の片田舎で日本人同胞と会い懐かしさを感じるとともにひとり活躍しているその様子を聞いて、先々も幸あれと心で思ったりした。

各地のダンスチームが踊る

ソフィア在住の日本人とその仲間と

おわりに

我々の訪ねたバルカンは近年の500年の間異民族トルコに支配され多くの犠牲を強いられてきた歴史がある。それ以前にもビザンティン帝国やローマ帝国の支配下にあり、ブルガリア王国は2度消滅している。 今回の旅で、このトルコ支配打破のため1876年最初に蜂起したコプリフシティツァの街や続いて1878年トルコ敗北を決定付けた露土戦争決戦の地シプカ峠も見て廻ったが、この地に定住以来この民族は西欧諸国の歴史とも違う被抑圧の歴史の変遷を深く経験しており、異民族・異文化に全土が支配された経験のない我々日本人にバルカン諸民族の感情は到底理解できないであろうと痛感した次第である。

シブカ峠の頂にある戦勝記念塔の前でこの日は子供たちの踊りが披露されていた

シブカ峠の頂にある戦勝記念塔の前で
この日は子供たちの踊りが披露されていた

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