著者の自己紹介: |
私たちカリフィオルニア人は、日本は奇妙な国だと思っています。しかし私が見た日本は奇妙にも何処か懐かしさがある国でした。さっと見たところ、東京はまるでロスアンジェルスでした。ある霞がかった午後、私たちの乗ったバスは成田空港を立って、フリーウエイ・オーバーパスから都内に入って来ました。何処を見ても低い、灰色のオフィス・ビルばかりで、大地は隠され、木々は両側から挟み込まれています。ロスアンジェルスのように、通りという通りは現代の鉄筋コンクリートという広大な網目の中に、姿を隠してしまいました。 バスが都心へ下って行くと、次第に違いが露になって来ます。馴染みというものと異質さというものとの戦いです。私たちの良く知っているガソリン・スタンド、コンビニ・ストア、そしてファストフードのレストランには、奇妙な看板や用具などがあり、どれも街頭のレベルに来て見れば異質に見えます。AM-PM ミニマートには信じられない程ぶ厚い本が置かれており、私が後で漫画本を見つけたのもここです。ガス・スタンドは、場所を有効に使うよう、ポンプのノズルを上から垂らしています。お寺と自動車展示店とが同じ区画で並び合ったりしています。 東京プリンス・ホテルに着くと、これもまた私たちにとっては別種の、上質ホテルにいるかのように思えました。部屋は小さいが、東京タワーの見える眺めがあって、快適さは充分です。でもそこは七階なのに、何故か閉塞感を抱かせます。 東京タワー 次の日私たちは、広い景色はどんなものだろうかと確かめたく、東京タワーの展望台に昇りました。驚いたことに、大きな緑地帯が、都内のあちこちに見られたのです。皇居だけでも、延々と広がる大都会の真ん中にあって、緑の大きな島といった感じでした。けれどもその他は、見渡せど見回せど、ビルまたビル、更に続くビルでした。隅田川と東京湾は、かろうじて見つけられる、といった程度です。 街頭でのカルチャー・ショック 通りは安全なものの、しかし外国人観光客が直面する第一の問題は、歩き回る不便です。大きな通りこそは名前が掲げてありますが、道路名の標識は何処にもあるわけではありません。そしてビルには、番地の番号が付いていません。日本の人達は、目立たない標識、そして遠慮がちな入り口を好むのでしょうか。私は、まさしく自分の行き先に規定ながら、それと気づかず通り過ぎたということが何度かありました。幸いにして私は、道を尋ねても、その答えを理解するだけの日本語は知っていました。だれもが本当に喜んで助けてくれようとしましたし、小さな地図を書いてくれることさえありました。何処か行くにしても、一つの冒険です。道を聞くべきかどうかということは問題になりませんが、場所を探すのに、本当に頻繁に人に尋ねなければならなかったのです。 訳:笠原 修
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