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外国人が見た日本

ローレンス・ブッシュ (USA) outsider@jps.net

著者の自己紹介:
私は、南カリフォルニアのデズニーランドから数分の所に住んでいます。心理学、コンピューターサイエンスの学位を持っています。私は時々部数の余り多くない雑誌に、文学に関した記事を書いております。例えば、倉橋由美子の「翔ける頭脳の女性」という本の読後感想を書きました。この本は幻想的な話を集めたもので、英訳されています。私は片や日本文学並びにアニメから禅まで、これらを含む日文化を溺愛し、日本は通算二回程訪問しました。私の日本怪談文学ウエブサイトは

http://www.jps.net/outsider

東京: 奇妙に懐かしく

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私たちカリフィオルニア人は、日本は奇妙な国だと思っています。しかし私が見た日本は奇妙にも何処か懐かしさがある国でした。さっと見たところ、東京はまるでロスアンジェルスでした。ある霞がかった午後、私たちの乗ったバスは成田空港を立って、フリーウエイ・オーバーパスから都内に入って来ました。何処を見ても低い、灰色のオフィス・ビルばかりで、大地は隠され、木々は両側から挟み込まれています。ロスアンジェルスのように、通りという通りは現代の鉄筋コンクリートという広大な網目の中に、姿を隠してしまいました。

都心へ降りる

バスが都心へ下って行くと、次第に違いが露になって来ます。馴染みというものと異質さというものとの戦いです。私たちの良く知っているガソリン・スタンド、コンビニ・ストア、そしてファストフードのレストランには、奇妙な看板や用具などがあり、どれも街頭のレベルに来て見れば異質に見えます。AM-PM ミニマートには信じられない程ぶ厚い本が置かれており、私が後で漫画本を見つけたのもここです。ガス・スタンドは、場所を有効に使うよう、ポンプのノズルを上から垂らしています。お寺と自動車展示店とが同じ区画で並び合ったりしています。

東京プリンス・ホテルに着くと、これもまた私たちにとっては別種の、上質ホテルにいるかのように思えました。部屋は小さいが、東京タワーの見える眺めがあって、快適さは充分です。でもそこは七階なのに、何故か閉塞感を抱かせます。

東京タワー

次の日私たちは、広い景色はどんなものだろうかと確かめたく、東京タワーの展望台に昇りました。驚いたことに、大きな緑地帯が、都内のあちこちに見られたのです。皇居だけでも、延々と広がる大都会の真ん中にあって、緑の大きな島といった感じでした。けれどもその他は、見渡せど見回せど、ビルまたビル、更に続くビルでした。隅田川と東京湾は、かろうじて見つけられる、といった程度です。

街頭でのカルチャー・ショック

街頭のレベルに戻ると、まさにそこはカルチャーショックでした。制服の学生たちが、バックパックを街頭に置き去りにして、銀座のファミリー・マートという混雑した店で買物をしているのです。 自転車も、錠が掛けられることが、滅多にありません。街頭の物売りも、店番がいなかったりします。まるで犯罪が存在しないかのようです。ニ区画毎に「交番」と呼ばれる小さな警察派出所があって、銃を所持しない警官が二人、詰め掛けています。犯罪皆無の環境という印象は、夜になると益々強く感じられました。どの人も一人で歩くのが、平気なのです。若い人も老人も、男も女も、誰もが公園や新宿の戯画化されたナイトクラブのある界隈を歩くにしても、夜中の散歩を何とも思っていないのです。

通りは安全なものの、しかし外国人観光客が直面する第一の問題は、歩き回る不便です。大きな通りこそは名前が掲げてありますが、道路名の標識は何処にもあるわけではありません。そしてビルには、番地の番号が付いていません。日本の人達は、目立たない標識、そして遠慮がちな入り口を好むのでしょうか。私は、まさしく自分の行き先に規定ながら、それと気づかず通り過ぎたということが何度かありました。幸いにして私は、道を尋ねても、その答えを理解するだけの日本語は知っていました。だれもが本当に喜んで助けてくれようとしましたし、小さな地図を書いてくれることさえありました。何処か行くにしても、一つの冒険です。道を聞くべきかどうかということは問題になりませんが、場所を探すのに、本当に頻繁に人に尋ねなければならなかったのです。

訳:笠原 修

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翻訳者笠原修さんの自己紹介:

私は28年前にカナダに渡って、日本で学んでいた神学の勉強を続行し、大学院で足掛け12年学びましたが、亡くなる前の父が「余りワイフに迷惑掛けないで、仕事につけ」と言われ、もう一年牧師になる勉強をして、カナダ合同教会の日系人会 衆に8年仕えました。8年目に「教会に牧師を雇っておく資金が充分ないので、パートタイムになってくれないか」と言われ、その任地に残ったまま、翻訳の仕事に転向し現在に至っています。そして今でも日英両語の結婚式葬式をする他、少数民族牧会会議で議長を努めたりしています。私のホームページ

http://www.msacomputer.com/host/osamu

は、私が白人の教会で説教した話が殆どです。コンピューターの会社を持つ、私の「悪友」が管理しているもので、ふざけた所もあります。

ブッシュさんの文を翻訳しての感想:私が3年前、26年ぶりの帰国をした時の印象とソックリです。70年安保当時の新宿から比べれば、余りにも奇麗に整い過ぎたかな、という印象でした。若者たちの服装が制服に見えたのは、私も同じ。そして交差点の人の波が一気に全体として動く、という観察は、カナダに帰ってから他の人からも聞きました。こんなことに奇異を感じるなんて、私も「よそもの」になったものだと思いました。(2000年7月29日)

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