絵本を繰るような旅ーバルト、ハイタトラ、ザコパネ、クラコフ
ハイタトラ・ザコパネ・クラコフ
バルトの旅を終えた後、8月末にクラコフでEUROCALL2005というコンピュータを使って語学教育に携わる言語学者の国際会議で私も発表する事になっていました。会議までの20日程欧州に残って、発表の準備をすることにしました。
5月に訪れたポーランドとの国境付近のスロバキアのハイタトラ山麓はザコパネ経由バスでクラコフに出られますし、山岳部落や木造教会とフォークロアの宝庫として心惹かれていた地域です。迷わずその地に決めました。
8月のヴィソケタトリ(高いタトラの意、海抜1000m)は、5月に雪と風雨と寒さに震えた同じ場所とは到底思えない賑やかな山岳リゾートで、お伽話にでてきそうな木造家屋が点在する小さな街です。ひっそりと立つ木造教会は、軽井沢の聖パウロカトリック教会に似ています。帰国後調べたら、軽井沢教会の設計はアントニン・レーモンドで、故郷のスロバキア地方の伝統を取り入れたそうです。
タトラ山脈は中欧の富士山的存在で、ポーランドもスロバキアも‘タトラは我らが山’と宣伝していますが、山脈の4/5はスロバキア側にあります。
晴天が多かったですが、降っても、曇っても、風吹いてもよしでした。空気も風も雨さえ味がありおいしい。ベランダからは、かたや山頂
(2654メートル)を仰ぎ、かたや広大な草原が見下ろせます。内蒙古草原、青穂たなびくチベット高地でしか味わえなかった広がりと澄んだ高い空がここにはあります。聞こえるのは教会の鐘と山岳電車の音。可憐な野の花々、渓流、白樺、ナナカマドの赤い実と木造家屋が調和し、どこを切り取っても、山並みと草原を背景にした絵になります。
ホテルのロビーで、無線LANでインターネットに接続して、パソコンを使っていると、宿泊客が次々に話しかけます。英国、ドイツ、ハンガリー、チェコ、イタリーなどの家族ですが、最低一週間はここに滞在して、あちこち歩き回っています。毎晩、今日はどこへ行ったと生き生きと話してくれますが、登頂が目的ではなく、歩く事自体を楽しんでいるのです。タトラは‘欧州の隠された宝’ということ、コンパクトなので東西南北全く違った景観が楽しめること、登山道が整備され歩きやすいこと、穴場なので比較的空いていることやお国自慢の‘必見隠れた手付かずの自然’まで披露くださいました。贅沢な休暇の過ごし方をしていると感心しました。
ハイキング、スキー以外の魅力は山岳電車で中世にタイムスリップしたような可愛い街々を気軽に訪れられること、スパ、ゴルフ、サイクリング、乗馬、パラグライディング、スリリングな筏の川下りなどがとても安価に楽しめる事でしょうか。
宿の女主人に2回、教会の音楽会に招かれました。一度目はアコーディオンとベースの伴奏で、パリからきた女性シャンソン歌手が、エディットピアフの生涯を歌い上げました。古めかしい木造教会で、祭壇の十字架のキリストをみながら、‘愛の賛歌’をきく得難い経験でした。2回目はスピッツア・ソボタの聖ジョージ教会(16世紀)のパイプオルガン演奏会で、Gerogio
Muffat のトッカータ(1690年)を聴きました。日本では演奏されない作曲家に出逢えるのも異郷ならではです。17世紀の名器でペダルを踏むギーコギーコいう音まで、ありがたく拝聴しました。正面の鴨居は名工パブラ作で、キリストと2人の罪人が十字架に磔つけになっていますが、3体とものんびりシエスタを楽しんでいるようにしか見えません。その頃の職人はキリストもマリアも罪人も使徒も妻、娘、恋人、父、息子等を思い浮かべながら、無心に彫ったのでしょうか。マリアはあどけない顔をしています。後年、自我に目覚め、芸術家を名乗る職人が作品に署名を残すようになると、像の顔も自己主張が強くこざかしくなってくるような気がします。
10泊後、バスでポーランドのザコパネに移動しました。折良く年に一度の世界山岳民族フォークロア大会中で、各国の民族衣装を纏った踊り手が踊りながらパレードするのが壮観でした。だれでも気軽にパレードに飛び入りです。ザコパネの野外バザールの大きさにも目を見張りました。ポーランド中の人々が集まっているようなにぎわいでした。
その後世界遺産の街クラコフにバスで移動しました。
短い夏を精一杯楽しもうと中央市場広場ではバザール、サーカス、民族舞踊等が次々と繰り広げられています。
夜はユダヤ人の音楽クレジミアをカジミエーシュ地区(500年続いたユダヤ人ゲットー)のレストランで聞きました。前の広場には虐殺された65000人のクラコフのユダヤ人の祈念碑がありましたが、土曜の夜のにぎわいはなかなかなものです。女性がクラリネット、男性がギターと、コントラバスのトリオで主にユダヤの結婚式の音楽などを聞かせました。ジプシー音楽と同じ、世界各地で、ユダヤの音楽とその土地の音楽が混合して、この地方独特のクレジミア音楽になっているそうです。リズムが軽快で陽気なようですが、それは表面のこと、ぶつけようのない不条理や悲しみを陽気なリズムにたたきつけ、憂さを晴らすという点では、フラメンコ、サルサ、レゲー、ラップ等と共通点があると思いました。中欧最古のヤゲウオ大学(14世紀)での国際会議でも無事に発表ができ、クラコフの夏も満喫した10日間でした。今回の旅は無線LAN内蔵のラップトップを携帯したおかげで、家族とメールとボイスメールで簡単に連絡が取れたので、心強かったです。
社会主義が崩壊した国々を訪れましたが、これらの国には小津安二郎の映画の世界のような郷愁を感じました。昔はだれでも、どこでも持っていたが、効率本意で突っ走ってきたあげく、失ってしまった有形無形の貴重な宝を持ち続けているのが
New Europeの魅力でしょう。英語が全く通じませんでしたが、英語が通じるようになったらNew Americaになってしまうと思いました。多くの若者がアメリカ、英国などに留学や出稼ぎで流出、そのまま彼の地で就職してしまうのが深刻な問題化していますが、いつかは彼等が帰国して、祖国の再建に尽くしてくれると親の世代は希望を抱いていました。
物も情報も必要最小限で不便なのでスローライフになる。言い換えると時間に追われない贅沢な生活とも言えます。食材は素材が良質でトマトはトマトの味、鶏は鶏の味がしました。そんな当たり前の事さえ、日本では当たり前でなくなっています。
人と家畜が自然の中で共存しているありふれた農村風景をしみじみ美しく感じました。海に囲まれ、起伏に富む日本は、四季があるので、ここ以上に美しかったろうと、失ってしまったかけがえのない自然を思いながらの旅でした。
世界に追いつこうとしている国だけに企業誘致に必死です。自然も人間も急速に破壊されていくかも知れない。そうなる前に見ておきたいと、私はせっせとNew
Europeを訪れています。
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