海外で暮らして50年
主催: Joy of Travel, SHE Japan
アメリカ便りや一笑一若小話のご寄稿でお馴染みの富田眞三さんに講演をお願い致しました。
メキシコに移民して50年、さぞやメキシコ人になりきった方と思いきや、50年前の昭和の時代の日本男児の雰囲気をそのまま封じ込めたように持ち合わせていらっしゃいます。
メキシコは誇張され、戯画化されたイメージが伝わりがち、本質を私達は意外に知りません。44階のスカイラウンジで暮れゆく新宿を楽しみながら、血わき肉躍るようなスリリングなお話を是非みなさんにも聞いていただきたいです。参加をお待ちします。
Joy of Travel 代表 渡辺節子
1960年、24歳でメキシコへ渡った私、富田眞三は40年間メキシコ・シティーで暮らしました。メキシコではRicardoと名乗っていました。多くのメキシコ人が「しんぞう」と発音出来ないからでしたが、向こうの生活に溶け込むためでもありました。あの当時、日本人との付き合いはなく、二世の家内との会話もスペイン語で、日本語を全く使わない生活が続きました。
コスモポリタンな大都市であるメキシコ・シティーでは、スペイン、ユダヤ、シリア、レバノン、ドイツ、イタリア、アメリカ人等とビジネスを通じて知り合いました。そして、メキシコで事業を始めた私にメキシコ人のみならず、国際色豊かな友人たちーAmigos―が大勢できました。私の交友関係は、自社の文具、事務用品卸会社の零細なお得意様から、大臣やスペイン貴族までバラエティに富んだものでした。 今回は、このような各国人Amigosとの交友関係を語ることによって、メキシコ及び各国人の気性、習慣等を、ジョークなどを交えてご紹介したいと思います。
肩のこらない「楽しいお話」ができたらと思っています。よろしくお願いいたします。
コスモポリタンな大都市であるメキシコ・シティーでは、スペイン、ユダヤ、シリア、レバノン、ドイツ、イタリア、アメリカ人等とビジネスを通じて知り合いました。そして、メキシコで事業を始めた私にメキシコ人のみならず、国際色豊かな友人たちーAmigos―が大勢できました。私の交友関係は、自社の文具、事務用品卸会社の零細なお得意様から、大臣やスペイン貴族までバラエティに富んだものでした。 今回は、このような各国人Amigosとの交友関係を語ることによって、メキシコ及び各国人の気性、習慣等を、ジョークなどを交えてご紹介したいと思います。
肩のこらない「楽しいお話」ができたらと思っています。よろしくお願いいたします。