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夫婦のバルト3国とコペンハーゲン15日間旅日記

小暮晶朗/洋子(加須市)
写真提供:渡辺節子

エストニア(7/19 - 7/22)

SASコペンハーゲン経由でタリンへ。コペンハーゲンは世界一静かな空港だそうで、アナウンスが全くない。
翌日徒歩でタリンの街を見物。現在国会議事堂の美しいピンクのトーンペア城にはのっぽのヘルマン塔があるが、4 - 50年間国旗を掲揚できなかったそうだが、現在はエストニアの青、黒、白の国旗がはためいていた。広場の向かい側には帝政ロシアが建てたアレクサンドル・ネフスキー聖堂がある。
最初に独立を果たした時代に移転の話があったが、はたせず。今なおロシアの脅威を感じているであろうエストニア人は、議会のすぐ前にロシア正教教会が建っている現実をどのように感じているのだろう。
トーンペア城の北側の展望スポットから旧市街を見下ろすと、さまざまな国教会の尖塔が見えた。ということは、デンマーク、ドイツ、スエーデン、ロシアと多くの国々の支配下にあった時代が続いたということか。

タリン市民が愛する古い木造の精霊教会を貸し切りにして、パイプオルガンのコンサートを聴いた。素朴で誰をも受け入れる懐の深さを感じさせるオルガンの響きであった。二階に上がって演奏者に会ったが、響きそのもののような温かみのある女性であった。
エストニアでは5年ごとに大規模な歌の祭典が開かれるそうだ。帰国してからエストニアの少女合唱団を聞いたが、透明な美しい響きはもとより、カラスの鳴き声、風の音とよく訓練されたさまざまな発声には感じ入った。
夕食はオルデハンザという15世紀の商家の雰囲気のレストランで、その頃の作法通りに料理が供された。蜂蜜入り、ハーブ入りなどのビールが珍しかった。トイレの手洗いは銅製の大きなやかんを傾けて水を使った。
翌日エストニアで二番目に大きい島、ヒーウマ島へ。
ホテルは、ロッジ風であったが夕食の魚のハンバーグ、朝食のライ麦のお粥、小魚の塩味の煮物、と手作りで心のこもった食事であった。
今度の旅行のようにどちらかといえばマイナーな国々を巡る時には、その国の通貨を少し多めに両替した方がいいと思った。これがすなわち渡辺リーダーが言われた「潤沢に用意すべきお金」なのかも?

ラトヴィア(7/22 - 7/25)

ラトヴィアのスイスと呼ばれているシグルダでガイドが交代。カッタイさんというご老人だった。ご高齢にもかかわらず研究熱心で、カッタイさんがジャガイモを馬鈴薯と言ったら、日本大使の奥様が「それは明治時代の言葉ですよ」とおっしゃったとか。辞書を引いたら、ジャガイモの方が江戸時代の言葉で、より古いということがわかったそうである。エストニアでもそうだったが、ジャガイモがなんて美味しいのだろう思った。
神の庭を意味する赤レンガ造りのトラカイダ城を見物。トラカイダのバラといわれた美女(恋人への愛を貫くため死をえらんだ)の墓に結婚式を終えたばかりのカップルがお参りにきていた。

その晩は2000年にラトヴィア木造建築賞を得たホテルAparjods、カーヴがついた屋根の中に明り取りの窓があるかわいいホテルであった。夕食のスペアリブのステーキは今旅行中一番?と思われるほどの美味。サーモンのステーキもなかなか。
翌日スーパーで買い物を終えて歩いていると、折りよく渡辺さんご夫妻に呼び止められ、田舎の小さなマーケットへタクシーで行った。地元の人々が自分で作ったものを売っていた。おじいちゃんから蜂蜜を買う。
24日はオプショナルツアーで中央マーケット、黒パン工場(ずっしりと重く日持ちがする大きくて真っ黒なパンを売っていた)、ラトヴィア民族野外博物館を見物。明治村のような野外博物館では、森林の中に100あまりの建物が建っていた。風車、昔の鍛冶屋、
漁師の家、木造の教会には300年前の木組みのパイプオルガンが。
夜はドーム大聖堂でオルガンの演奏と女性合唱を聞いた。
指揮者と話したが、日本公演をしたことがあるジインタルス(琥珀の意)という女声合唱団で、この秋ワセダのグリーが当地にきて共演するそうだ。。
リガのHotel Bergsはキチンつきで部屋が広く機能的で素敵な ホテルである。二泊目の夜は全員が食べ物を持ち寄り、リーダーの部屋にお邪魔して、夜遅くまで歓談した。

リトアニア(7/25 - 7/29)

リトアニアに入ると牧草地だらけで、人家が点在している素朴な風景になった。リトアニア第二の都市クライペダでカッタイさんと別れて女性ガイドに変わった。
大学の先生だそうで、とてもきれいな英語だった。
市内を徒歩で見物してからカーフェリーで対岸のスピットへ渡った。幅4キロで長さが100キロの半島である。大部分が砂州で風の影響で砂が移動して四つの村が埋もれたという過去の歴史によって、世界危険遺産に指定されていたが、植林等で砂の移動が少なくなり、危険の文字がとれた由。南半分はソビエトの飛び地である。
バルト海とラグーンと両方見える砂丘に登ったり、海鵜のコロニーを見たり、木彫りの魔女達が点在する散歩道を歩いたり。

ここではニダ(別称バルトのリビエラ)に泊まったが、かわいらしいカラフルな風見(その家の歴史や家族構成などが分かる)とうなぎを燻製にする煙の匂いが印象に残った。朝晴れていてもすぐに驟雨がある、傘が手放せない場所である。

カウナスでは、旧日本領事館で杉原千畝さんがこの地で6000人ものユダヤ人を助けた話をスライドで見せていただいた。同胞として彼の行動に感動し、誇りに思い、しばらくその余韻が心を占めていた。門柱に「希望の門・命のヴィザ」という文字が見えた。
第九要塞博物館は19世紀にロシア帝国が建てた要塞跡で、ナチによる大量殺人の現場になった。6本のろうそくがある部屋にはこの現実が抽象化された壁画があった。1本のろうそくは一万人の犠牲者のためとか。広々とした丘上に建つこの要塞跡は、中でどのようなことが行われていたかを想像しにくい場所である。外からはうかがいしれない殺人工場がリトアニアには203もあったそうである。

その後チュリローニス美術館へ。物語性のある抽象的な、心の深部をさらけだすような絵画が多かった。雲の多い空に聳え立つバベルの塔を思い起こさせる絵葉書とやはり雲の多い空に立つ、監獄の見張りの塔のような絵葉書が手元に残っている。

かつての首都だったトラカイへ。ガリベ湖畔に建つ赤い煉瓦の要塞トラカイ城はもちろん美しかったが、クリミヤ半島から傭兵として連れてこられた人々の末裔が住む地域にあるカライメ博物館で、現地語→英語→日本語と早口で訳される説明は、掛け合いのせりふを聞いているようで、失礼ながら面白かった。

リトアニアの首都ビリニュスは信仰心の篤い国民性を如実に示しているような教会を多く訪れた。例えば1つとして同じものが無い二千以上の彫刻が飾られている聖ペトロ・パウロ教会。当時の将軍バツァスが私財をなげうって造ったものだが、「ここに罪人眠る」という壁に書かれた彼自身の墓石が見える。みんなが踏んで入る入り口の下に彼は眠っている。
大聖堂前には「人間の鎖」の起点となった記念の敷石がある。エストニアのタリンからラトヴィアのリガを通り、ビリニュスに至る人間の鎖である。
城壁の九つの門のうち、ひとつだけ残った「夜明けの門」の上方には礼拝所があって、信者が敬虔な祈りを捧げていた。夕方KGBミューゼアム(ここも殺人工場に使われていたのだが、そのことをリトアニア人は知らなかった)横の広場でリトアニア人中高年のダンスのグループとの交流があった。平均寿命は女性77歳、男性66歳。ソビエトに財産を取られたり、年金ももらえないで、自殺する男性が多いとか。

その晩は民族音楽つきの名物料理であったが、日本の歌として「浜辺の歌」が奏された。耳学問で覚えた音楽だったらしく、ところどころ妙な節回しだった。私達が歌うのを聞いて、クラリネット奏者は熱心に何回も直していたのには感心した。

デンマーク(7/29 - 8/1)

コペンハーゲンのホテルには午前8時に着いて自由行動になった。ホテルが中央駅から徒歩3分なのがありがたい。電車で三つ目の駅で降りて人魚姫の像を見物。その後アマリエンボー王宮の広場まで地図頼りに歩いた。途中チャーチル広場にあるカフェ・チ
ャーチルでサンドイッチを食べたが、間違い?と思うほど高かった。消費税25%を実感。
王宮広場の衛兵は他の国の衛兵に比べて人間的?である。隣に立って写真を一緒に撮ろうとしたら、もう少し離れるように手で押しやられた。すぐにまたすまして立っていたので、おかしかった。
夕方チボリ公園へでかけてみた。古くからの有名な公園だが、ディズニーランドを見たものには少々もの足りないかもしれない。公園一周のトラムに乗ったり、中華料理を食べた以外は何もしなかった。ロックのコンサートをやっていた。
翌日はオプショナルバスツアーで1998年開通の、世界で二番目に長い吊り橋GREAT BELT BRIDGEを渡り、フュン島のアンデルセンの故郷オーデンセを訪れた。はげしい雨で街中の見物はできなかったが、アンデルセン美術館の中に、貧しい家に育ったアンデルセンの部屋が再現されていた。アンデルセンは切り絵が上手だったこと、お世話になった人にプレゼントしたことなどを初めて知った。各国語に訳され、世界中で愛された彼の著作が一堂に集められていた。もちろん日本語の本も数種類飾ってあった。

北欧一美しいといわれる水上の城郭イーエスコウ城を訪れた。湖の中に杭を打ち込んで建てたこの城は渇水すると危険なので、そのような時には他から水を運んだそうである。よく手入れされた幾何学的な庭園も美しかった。
翌日は、100クローネで一日乗り放題の乗車券(クレジットカードでも買える。ホームに降りてから自分でパンチを入れる)を買い、30分ばかり電車に乗ってロスキレで降り、バイキング博物館とロスキレ大聖堂へ行った。ロスキレ大聖堂には見事な彫刻が施された歴代の王の棺が安置されていた。次に一時間以上電車に乗り、ヘルシンガーで降り、ハムレットの城のモデルとなったクロンボー城を訪れた。この城では各国のハムレットが上演されるという。中国の京劇で上演されるハムレットの衣装が展示されていた。地下の曲がりくねった牢獄跡は今にもハムレットの父王の亡霊が現れそうな雰囲気があった。
まだ時間があったので電車で現女王のお住まいを見物に行った。ここにも衛兵が二人、庭園は素晴らしかった。
こうして100クローネは有効に遣われたのである。こういう場面が渡辺さんがリーダーの旅の醍醐味かもしれない。
8 /1 私達11名は帰国。9名はさらにサンクトペテルブルグへの旅を続けた。
午前中小暮は汽車でスエーデンへ、マルメ城を見物に。洋子は刺繍糸を買いに。文房具店できれいな鉛筆とデンマークの旗がデザインされた腕輪を買った。日本の漫画が「MANGA」というコーナーにデンマーク語訳で並んでいた。コペンハーゲン空港で買ったアクアビットという強い酒は美味しかった。

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