2. ハンガリー大平原(プスタ)とチェルノブイリ原発事故
ハンガリーの国土の80%はプスタと呼ぶ平原、農耕地である。
ドナウの支流ティサ川が、広大なプスタを、南北に蛇行する。
牛馬の放牧、つるべ井戸、点在する農家、軒下にかかるブリキの牛乳缶。
今でこそ穀倉地帯だが、血生臭さい侵略が繰り返された所だ。
コダイ音楽院 (写真提供:ハンガリー大使館) |
広漠な風景と悲惨な歴史が想像力をかきたてるのか、プスタは心を打つ音楽を多く生みだした。
農村に埋もれたマジャール人の民謡の美しさに魅かれ、編曲、普及したのが、コダイとバルトークだ。コダイの郷里ケチャケメートにはコダイ音楽院があり、世界中の音楽生がコダイメソッドを学びに集まってくる。
ドップラー(ハンガリー田園幻想曲)やベルリオーズ(プスタ「ファーストの業罰」)もプスタを壮大に歌い上げた。
1986年4月29日、私は、ブダペストで、夕立ちにあい、ずぶ濡れになってしまった。
翌30日は、快晴。プスタを縦断するハイウエイE5 を車で南下した。
大雨に洗われた草原は輝き、ライラック、菜の花、ケシ、矢車草が彩りを添えていた。
途中、ケチェカメートで名産トカイワインで小休止。
ドナウとティサの合流地セゲトで昼食。
地元の梨ワイン、パリンカと名物グヤージュ(牛の煮込み)がよく合った。
乾いた草原では、冷えたワインは、命の水だ。
夕暮れ、ベオグラードに着くと、街中パニックだ。
26日のチェルノブイリの原子力発電所爆発事故を、4日後にやっと西側のラジオが察知して報じたのだ。私の浴びたのは、放射能雨だと知った。
行く先々、ドブロブニクでも、ウイーンも、街の話題は、原発事故。
ラジオは、放射能灰を運ぶ風向きを市民に刻々伝えていた。
3年後の5月、私は再びブダペストを訪れた。
そこで聞いた話は恐ろしいものだった。
(写真提供:ハンガリー大使館) |
プスタは放射能雨を吸い込み、収穫した穀物、果樹、草を食んだ家畜の肉や、牛乳もワインも悉く汚染。
人々に、甲状腺肥大、肝臓障害、婦人病など多発。乳幼児が一番の被害者。
白血病等癌の死亡率は通常の10倍以上。
食料全てを輸入に頼っているとのこと。
大平原は、嘗てモンゴルや、オスマントルコとの戦いの果てに、一木一草もない荒野になり果てた。
ヨーロッパの穀倉庫として、穀物の大半を賄うまでに立ち直った今、今度は、核で破壊されてしまったのだ。
それでも大平原に日は昇り、ドナウは悠々と流れ、ライラックも芳しかった。
ふと根が汚染されているのではと思った。
今も咲いてくれているだろうか。
次は『林檎の花咲くフィヨルド』を訪ねましょう。
●リンク集
「ハンガリーの地図、写真」
「ブダペストの写真」
Copyright1998 Setsuko Watanabe
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