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ウクライナの印象

三木恵子
写真提供:渡辺節子

ウクライナは広大で肥沃な土地、自然に恵まれた穀倉地帯、カルパチア山脈、歴史も文化、科学技術、芸術家、科学者、立派なウクライナ出身者を多く輩出しているが何時もロシア、ソ連に隠れ、やっと日の目を見るようになった国でもある。中々個人では行けない国だけに楽しみにして行き、感動した旅であった。思いつくままに印象とオランダからキエフ・ボリスピリ国際空港に着いて珍しいヤルタまでの一人旅の体験を。

キエフ空港からシンフェロポリへ

1,500年以上の長い歴史のある首都キエフ、空港には余り英語表示が見当たらない。英語の分かる人を探すのに一苦労。入国手続きは遅くて長蛇の列(イライラ)、やっと出て来た荷物は荷物の上に荷物が乗って途中コンベアーから落ちた荷物を整理する人もいない。出口は雲助のようなタクシー運転手が八の字に隙間なくギッシリ並んでおり、薄暗く何となく異様な光景。シンフェロポリ行きターミナルを尋ねるとBだと、Bに行きインフォメーションの若い女の子に切符を見せて尋ねるとAだと言う。AだBだAだBだと尋ねる人皆が違う答え。まったく当てにならない。サービス精神が全然なく不親切。旧社会主義国の悪い体質そのまま。乗り換え時間のない私には困った問題だった。結局Bでしたが狭いところに座る椅子がないので大勢の人が立ったままでチェックインカウンターは隠れて見えない。AからBターミナルの通路は屋根なしの水たまり、汚い不法駐車の隙間をぬっての移動。乗り遅れた飛行機の切符の手配にAターミナルへ、やっと出発までこぎ付けたものの、出口が分からない。まさかと思った壁の所に閉まった粗末な旧式トイレのドアーの様なものが3つあるのを発見。出発間際にやっと狭い一つのドアーが開くとそこにセキュリティチェック用の機械が見えた。これがキエフの空港?雨の時大きな荷物を持ってどうして移動するのかと思いながら1時間半の飛行機の中ではグッスリ。ヤルタでガイドさんに聞いてみると10年以上前から建て替えの話はあるが実現していないとのこと。しかし後日訪れたキエフの列車の駅もガイドに案内してもらった観光名所も上記のような旧式のものは見当たらず、重みのある歴史を感じさせる立派なものでした。

シンフェロポリからヤルタへ

空港からシンフェロポリのバスターミナルまで空港の待合室で知り合ったイレーナさんのご主人の車で送ってくれた。シンフェロポリ駅前の広いバスターミナルは行き先の分からない薄汚れたバスでいっぱい。世界最長のトロリーバス路線に乗り換えて2,752メートルの山脈を越えて夜8時頃ヤルタへ。2時間半のバス代は12グリブナー。約240円位。ずーと外の景色を見ていたが、5時半頃だったので、車内は労働者風の通勤帰りの人で満員。窓は泥はねで汚く、カーテンは薄汚れて破れ、座席はスポンジが飛び出し、床は泥だらけ。黒海の海岸線の景色を期待していたが飛行機の遅れで暗くなってしまい見えず残念だった。やっと着いたヤルタの最終バスターミナルで下車する人は2,3人、広く、薄暗いターミナルも余り人がおらず、タクシーを利用。ホテルまでさきにタクシー料金を要求され、暗くて間違えて20ユーロ札を渡してしまい、しまったと思ったが言葉が通じないので返せとも言えない。渡した私が悪いとあきらめていたら運転手さんは自分で両替所で換金、正直にお釣りを現地のお金で返してくれたのにはこちらがビックリ。当たり前と言えば当たり前なのだが。10分位で無事ホテルに到着。600円位のタクシー代は日本並みか。東京からモスクワ経由で来られた方たちと夜12時頃ホテルで合流。ホッとした瞬間でした。

*リバディア宮殿

1945年のヤルタ会談がここで行われた。ヤルタ会談―――ラジオと歴史の授業で習った耳に残った言葉。チャーチル、ルーズベルトとスターリンが日本の運命を左右した会談でもある。南樺太、千島列島をスターリンが要求し、ソ連への帰属が決定承認された円卓会議がこの部屋で行われたのかと思うと考え深いものがあった。また自分がここにいるのが不思議だった。

*スキタイの胸飾り

国立歴史宝物館で見た2,500年前に作られた古代の躍動感あふれた見事な作品。細かい細工、先人の技術のレベルの高さ、審美眼のすごさ、圧倒された物だった。

*ドニエプル河クルーズ

今は穏やかな流れ、長い歴史を呑み込んだウクライナの中央を北から黒海に流れている大河。自由時間を利用して雰囲気の良い海上レストランで昼食。後右岸(東ヨーロッパ側)、左岸(モスクワ側)を二分するドニエプル河を船で約1時間、目線を変えて船から美しい風景を楽しむ事が出来た。丁度紅葉が始まったばかりで両岸の緑の中、真黄色の木々、黄金色に輝く教会の屋根が見え隠れし、かっては物資の運搬、戦いで重要な役割を果たした河とは思えない静かな光景だった。

*バンデューラ

古くからあり、日本では滅多にお目にかかれない民族楽器。夕食後バンデューラの名手タラスとオレルのデュエットを聞く事が出来た。かっては盲目の吟遊詩人が打ちひしがれた心境を歌っていたのでしょうが、民族衣装で現われた2人のデュオは心の琴線に触れた迫力のある声量、65弦の澄んだ金属的な音色を表現豊かに弾き、臨場感あふれる私達の為の感動したとても良いコンサートでした。忙しいデュオはヨーロッパの国々、カナダ、アメリカでも広く演奏活動をされており、祖国を追われたり、去らなければならなかった人たちにとっては救世主の様な方なのかも知れない。日本では滅多に聞けないバンデューラ、聞けるチャンスがある事を願っている。ソフィア大聖堂の公園で弾いていたアインシュタイン風のおじ様も心に残っている。

*文化交流と若者の意欲

若者たちの日本への関心は高く、しっかりしていて好感が持てた。私が担当したリビュウ工科大学でのかな書道に関しては日本語学科の中に書道の授業があり筆使いに少し慣れた人もいた。人なつこく、感じの良い学生やベトナムからの留学生とも書道の話を聞きたくて追っかけて来てくれたが時間が少なく対応が出来なかった事は心残りになった。キエフでボランティアに来てくれた若者2人、日本に留学経験があるそうだが、ガイドより日本語が上手、良く気が付き、とにかく意欲的な20歳、目標も高く大学を卒業後は日本の大学院でもっと勉強して貿易関係の仕事し、後自分の会社を持ちたいとの事。カルパチアのガイド、ミイシャについた英語の通訳ロマンもすばらしい同じ20歳の若者。ミイシャと同じ村に住んでる若者かと思っていたら遠く離れた町から来た大学生。田舎にバスが頻繁に走っているわけでもなく、乗継ぎ乗継ぎして来たらしいが今の日本の若者にはないハングリー精神を持って頑張っている姿が素晴らしくウクライナの将来が楽しみだ。

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